この攻撃についてレクチャーするにあたって、まずはこのフィジカル・グラフィティとボクシングとの違いのひとつについて紹介しなければならない
フィジカル・グラフィティにおいては、ボクシンググローブははめない
ボクシンググローブなんてでかいものは持ち歩くのは面倒くさいです。人間はもっと自分の身体を工夫するべきだ
とはいえ素手で殴りあうこともありえない。漫画やドラマでお馴染みの喧嘩シーンでは素手で殴りあうが、人間の拳というものはヤワなものだし、逆に頭や顔面というものは意外に硬いものだ
素手で殴ったりしたら拳を痛める。グローブもはめずに素手でも殴らずに、どうすればいいのか答えに行き詰った
いや答えはある。あるには十分ある。しかし、えげつない方法を書かなければいけない。人間の急所とはいくつかあるというのがヒント
規制に引っ掛かるということもあるが、そういうえげつなさを必要とする人は人数を限定してしまうし、僕が目指している「誰でも気軽に出来る」というコンセプトからは外れてしまう
答えは出た、つまり…
スパーリングをする場合は、拳を握ることにする。もちろん、当てないということが前提である
相撲みたいに張り手にすれば、当たっても拳は傷つかないが、絵的にダサいです。そもそも僕がボクシングに〝惚れた?のも、スタイリッシュで格好良かったからだし、見た目にこだわるという煩悩を肯定するべきだとも思う
とはいえ、これから紹介する練習のなかには当然ながらパンチに威力を出させる練習もあるわけで、そんなときに当てない練習のままでは、本当に威力が出ているのか懐疑的になるときもあると思う
そんなときには、拳をひらいて――忌々しい張り手状態にして、――壁等にたいして体重をあずけるかたちにして威力を確かめるのもいいし、近くに人がいる場合は同じくその人の身体を使わせてもらうのもよい
そして、ボクシング経験者は皆知っていることだが、拳は当てようとする瞬間に握るものであり、普段から力をいれっぱなしというわけではありません
拳にかぎった話ではないが、身体とは力を入れっぱなしでは自由に動かせないし、なによりもスタミナを消耗してしまう
パンチの種類については、一本の腕について四種類。つまり両腕で八種類ということになる
ボクシングについて詳しくない方でも、「ストレート(ジャブ含む)、フック、アッパーの三種類×二の六種類なのでは?」と思うかもしれないが、フィジカル・グラフィティにおいては八種類である
ここで、構えについて復習したい。オーソドックスな構えにおいては、左腕を上げている状態で、右腕は下げている状態のはずである
左腕をそのまま下ろせば左のパンチになるし、右腕を上げれば右のパンチとなる。つまり、下ろす力を利用したパンチと上げる力を利用したパンチの二つがあるということだ
当然逆パターンとして、左腕を上げるパンチもあれば、右腕を下ろすパンチもあるから、これで四種類となる
最初に八種類と言ったのは、この下ろし方と上げ方にもそれぞれ二種類のバリエーションがあるということだ
相手と正対している状態からパンチを放つ場合、その軌道は内側に絞り込むような軌道となる。内側に絞り込む軌道のパンチがあるということは…。そう、勘の鋭い方ならお気づきのように、外側に拡がる軌道のパンチもあるということだ
ひとまず、ここでおさらいしよう
打ち下ろしにつき、内側に絞り込むパンチと外側に拡がるパンチの二種類
打ち上げにつき、同じく内側と外側の二種類
当然のことながら、腕は左右の二本なので、上記の四種類×二と考えて全八種類
これに、構えやら角度やらの諸要素が加わると、ほぼ無限になる
ただ、初心者のうちはそのうちの四種類を覚えることに集中したほうがいいと思う。それは打ち下ろしにしろ、打ち上げにしろ、内側に絞り込むパンチだけにしておくということ。外側に拡がるパンチは、その使い方やシチュエーションがやや上級者向けなので、また別の機会に紹介します
この軌道については、「拳で殴る」というよりも、「刀で斬る」というほうが感覚的には近いかもしれない
ここまでは軌道について紹介してきましたが、まだこの段階ではパンチにどうやって威力を出させればいいのかが不明です
ここからフィジカル・グラフィティの革新的であり核心的な部分に入っていきます
簡単にいうと筋肉に頼らずに、重力に身を任せた動きを目指していきます
例え話をします
野球のピッチャーの投げるカーブボールとは、指のひっかけ方や手首のねじりを利用して投げる、言わば人間の能力を生かして曲げるボールである
それにたいし、ションベンカーブというものをご存じだろうか。単なる力のないボールのことで、重力に負けて落ちているだけのカーブなのでスピードもない。まっ、みっともないわな
しかし、フィジカル・グラフィティでは、このみっともなさを利用する。重力にたいして逆らわずに大胆に倒れていくのだ。本当に倒れていったら技にならないので、あくまでもその力を利用するだけだが。ボールとは違い身体全体の重さを利用できるのだから、かなりのエネルギーとなる
そのためには、筋肉を使うという発想が邪魔になる。もちろん、人間が生きているということは筋肉の動きであるということでもあるわけだから、丸々全ての筋肉の動きを止めるというわけではない。ここでいう「筋肉に頼らない動き」とは、極端に筋肉に負荷をかけることを理想とする従来のスポーツ的な発想からの脱却を意味する。当然のことながら、筋肉増量を目的とした、禁止薬物の使用はもってのほか(万が一理想としてても、そんなこと発表できるわけないし)
僕は2001年からボクシングを始めたのだが、今年2011年までの10年間で、体幹部の動きの大切さが世間一般にも浸透してきた。体幹部とは簡単にいうと、胴体部分のこと。腕よりも太い胴体の動きを意識するからパンチの威力が上がるし、ダイエット目的の方にとっても胴体を細くすることにつながるので一石二鳥。このことには僕も賛成したい
しかし、これに僕はもう一つ突っ込んだ見解をいれたい。身体のバランスを崩しながら打つということにする。これは、僕の実体験から編み出した。というよりも、フィジカル・グラフィティのほとんどが全て実体験に基づくものだけれど
具体的に言うと、下半身の力を抜き相手に全体重を預けるようにしてパンチを打つということ。当然、足腰の強さは使えないということになる
まず、いわゆる一般的なスポーツの定石を紹介します
これも野球のピッチャーの話だが、コントロールをあげたければ下半身を鍛えて、スピードを上げたければ上半身を鍛えるのが定石らしい。つまりしっかりした下半身で身体をぶらさないようにして、スピードは上半身の筋力に依存することになる
フィジカル・グラフィティはこれを全て無視する
下半身はふにゃふにゃなほど良い
上半身は筋力に頼らずに、むしろ肩を柔らかく使うことを心がける
この二つが連動したときに生まれるのが身体全体という概念である。どこか特定の部位を鍛えるような筋力トレーニングからは、この感覚は身につかない。何よりも特定の部位を鍛えてしまうと、身体全体のバランスが崩れてしまい、結果として怪我をしやすくなってしまうことが予想される。リスクは分散するべきだ
パンチを打つ前に、正中線あるいはセンターのことについてふれたい。武道では正中線といい、バレエではセンターと呼ぶが、所以は一つ。身体の真ん中を貫く一本の線ということだ。これがあれば、身体が左右にぶれにくいという効果がある。
スポーツではこれを意識して身につけさせようとするが、フィジカル・グラフィティでは、自然にまかせます。どういうことかというと、素晴らしいパンチの打ち方のみならず、素晴らしい動きをしていけば、センターも勝手に身につくはずだからだ
スポーツの発想とは逆かもしれない。スポーツの場合は「素晴らしい身体意識が素晴らしい動きを生む」という発想だが、フィジカル・グラフィティでは「素晴らしい動きだから、素晴らしい身体意識のはず」である。そう、身体意識とは結果的に身につくものなのである
この微妙な違いについて説明していきたい。スポーツにおいては、先ずはあらゆる意味において自分というものをつくってから動こうとする。身体意識しかり筋肉増強を含めた肉体改造しかりだ。しかし、僕には疑問があった。もし、間違った自分をつくってしまったら? 人間はミスをする生き物だ。大切な身体をわけのわからない他人――この場合は師匠やトレーナー――に委ねないほうがいい
人間が人間を教育するだとかプロデュースするとかいうことに、傲慢を感じないことのほうが疑問である。つまり、このフィジカル・グラフィティにしても、あくまでも個人個人の感性が答えを導くためのきっかけにすぎないということ
といって、いつでも完璧な答えを用意することの出来るような超人などめったにいないのも本当である。そして一足飛びで生半可な悟りをひらいた気になってしまうのは危険でもある。結局のところ、少しずつ“何か”に気づいていくことでしか人は成長出来ないと思う。その何かとは、自由な心境からしか開拓出来ないだろう。身体意識を初めから決めてしまうことや肉体改造は自己規定につながってしまうおそれがある
身体について具体的に言うのであれば、フォーム(構え)ではなく、あくまでもモーション(動き)を重視したい。動くなかから、より良い動きを発見してほしい。そして、それは他の誰でもなく、自分自身と向き合う作業でしかないはずだ。「自分」とは、「自分の動き」である。結果としての身体意識を手に入れていることや、肉体改造にもつながっているなら素晴らしいと思う。身体に関する限りは自然主義でいきたい
それでは打ち下ろしのパンチについて、紹介していきます
というよりも答えはでているか。打ち下ろすわけだから、拳を上げている状態からそのまま下ろせばいい。このときに左半身と右半身は別々の動きとなっている
この場合はオーソドックススタイルからの左のパンチを説明します。左半身をおろしたときに、右半身は…やや浮き上がっている状態がベスト。スポーツ的な常識からいえば左半身が動いているとき、右半身は【壁】をつくるべきなのだが、フィジカル・グラフィティにおいては全ての動きは連動する
同じくパンチを出した瞬間は左半身を前につきだしている状態となっているわけだが、このとき右半身はやや後ろにひいている状態となる。つまり、左と右で別々の動作を行いながらも、お互いを補完しあう関係となっている
このときに重要になるのが、身体の真ん中を貫く線、つまり正中線あるいはセンターとなってくる。初めに身体意識を創ることは否定したが、この場合は後から自然に出来あがるものをさす。しつこく言いますが、これは意識して創るものではなく、動きのなかから存在を確認していってほしい
また、このときの下半身の使い方は柔らかくすることが第一。簡単にいうと、地面を蹴らない身体の使い方を目指します。今、さりげなく重要なことを告白してしまった。普通は、走りこんで下半身を鍛えたりするものですが、フィジカル・グラフィティに必要なのは直線的な強さではなく、状況に応じて柔軟に動く足である
左半身を打ち下ろすときには、同じく左の足を下方に下ろす形になる。逆に、上げるときには、同じく上がる形になる。両方の動きに言えることだがこのとき、本当に上げ下げをやってしまうと、足を地面にめり込ませることになったり空中に上げることになったりしてしまうので、あくまでも形だけだが。 馬鹿馬鹿しいことでも一応書いとかないと
左足と右足が別の方向に向かい運動することは、上半身の使い方の原理と全く一緒です。逆ベクトルを支えるために、その時に身体を貫く真ん中の線が大事なのも一緒。つまり、身体全体が連動することになり、当然下半身のタメという概念はない
腰も痛めやすい箇所なので柔らかさが重要。力がこもらないような、しなやかな腰がいい
そしてそれらは動きの中から体得する
次は打ち上げのパンチの打ち方
見た感じはアッパーの打ち方に似ているかもしれない。これは、打ち下ろしのパンチよりも難しい。何故ならパっと見、重力に逆らう動きだから、つい単純な筋力に頼ってしまいがちだ。しかし、ここで打ち下ろしのパンチについて思い出してほしい。左半身が打ち下ろした状態にあるとき、右半身がやや浮き上がった状態である。これで、全ては解決。つまり、逆に応用すればいいのだ。打ち上げの場合は、半身を落としていく力と逆ベクトルに働く浮き上がる力を利用することになる
ここからはオーソドックススタイルの構えである右腕をおろした状態からの打ち上げを紹介します
上げてある左腕をやや下げながら、その力と逆ベクトルに働く右半身を一気に打ち上げる。つまり身体の真ん中を貫く一本線を境にして、上げ下げを器用に使うことになる。左半身と右半身の作用と反作用である
もちろん、筋力に頼ってしまっていては、ここまで素直に身体は動かない。身体が崩れるようになる力を一気に利用してほしい。それ以外は、全て打ちおろしのパンチと同じです
最初に書いたように、ボクシングの場合はストレート、アッパー、フックというパンチがある。フィジカル・グラフィティに置き換えるとそれは、うち下ろしの軌道がストレートに相当し、打ち上げの軌道がアッパーに相当するかもしれない。ここまでで、上下の軌道は書いてきたが、横からの軌道、つまりフックがまだだった。この場合、パンチを打ち出す角度が横からになるというだけで基本的には力の使い方は上下の応用である。つまり、上げ下げの力の使い方自体は変わらないが、その軌道が横からになるというだけ
そして一つ肝に命じておかねばならないことは、パンチの軌道が真っ直ぐということはあり得ないということ。上げるにせよ下げるにせよ、どこかで角度をつけることになる。なぜなら、人間の筋肉というものは斜めに走っているので真っ直ぐの使い方というものは、自然ではないということになる。自然ではない使い方は疲れやすいし怪我のもとともなるので避けたほうがいい
ここまでで、基本的な打ち方について書いた