防御


防御については「構え」で既に紹介したので、顔面の前に腕を置くことや、ボディ打ちを警戒して、お腹の辺りに腕を置く方法は知っていると思う。もちろん、これだけではそれこそ棒立ちと同じで、たとえ一撃による急所当ては防げても、徐々に相手からメッタ打ちとなってしまうので、まだまだ不十分である

そこで防御には二種類があることを知るべきだ

一つ目は「移動」で教えたようにフットワークにより身体を移動させる方法がある。これはわかりやすいと思う。モハメド・アリのいう『蝶のように舞い蜂のように刺す』というやつである。これは下半身の柔らかさを利用した防御

二つ目は上半身の柔らかさを利用した防御。下半身があれば当然上半身もある

上半身を利用した防御の場合、移動による防御よりも緊急回避の意味合いが強く、また顔面への攻撃は回避できるものの、ボディへの攻撃は回避出来ない場合がある。その分、攻撃への移行はスムーズにいきやすいということも特徴である

ここではもう一人のレジェンド、マイク・タイソンの防御法を中心に紹介していく

マイク・タイソンの防御というのは、

1.高いガード

2.上半身を常に左右に振り、的をしぼらせない

3.ときにはしゃがむことにより、頭への攻撃をかわす

…の、三つの要素で成り立っている。1のガードについては、「構え」で粗方教えたと思う。 フィジカル・グラフィティの防御では、2と3の複合要素について、教えていきます

先ずは上半身を振ると僕は紹介したが、これはより正確に言えば身体全体を振るということになる。フィジカル・グラフィティにおいては、部分的な鍛練というものはありえない。 上半身を振ると書いたのは、あくまでも他人から見たイメージです

具体的な例を挙げると冬期オリンピック・フィギュアスケートで金メダルを獲得した荒川静香選手の代名詞となった華麗な技「イナバウアー
を思い出していただきたい。背中を後方に反らすポーズのようにも見えるが、実は彼女に言わせるとあの動きは背中の動かし方よりも、膝の柔らかさが重要らしい。フィジカル・グラフィティにおけるディフェンス・ワークにも同じことが言える。相手のパンチを目の先三寸でヒョイヒョイかわしていく様は他人が見たら上半身の柔らかさが際立つ動きかもしれない。しかし、その動きは上半身だけでなく下半身も連動した動きであることを常に自覚していなければならない

こういった基礎的なことほど、上級者になったときに忘れてしまいがちになる。実際には上半身だけで動くよりも、下半身の動きも連動したほうが可動域も広くなるっていうのにね。常識とは恐ろしい

先ずは身体を動かす方向を学ぼう。…といっても左右の二方向というのは理解していただけると思う。これに加えて、前後という要素も加わるから、

右前方

右後方

左前方

左後方

以上の四種類の方向となる。ディフェンスのはずなのに、相手の攻撃を食らいやすい前方に身体をもっていくのはおかしいと思う人もいるかもしれない。このディフェンスの場合は、身体を前方にもっていくことで相手に近づくことにより、防御→攻撃の流れを速くする効果がある。確かにリスクも大きいことは確かだが、その辺りのリスクマネージメント感覚は練習で身につけていってほしい

この四方向を組み合わせることが肝要。右前方→右後方→左前方→…等々組み合わせていく

無論、この中に構えの変更やフットワークや攻撃を織り交ぜることにより無限大の組み合わせとなる。これで顔面には絶対にダメージを受けない。理論的にはだが…

閑話休題

なぜ「理論的には」などという曖昧な言葉を使うのか。今まで紹介してきたのは、科学であり、理論である

だが当然、人間とはロボットではない。そのときの体調や感情によりコンディションは左右されるし、人間はミスもする生き物である。そして、なによりも相手がいてやることだから、必ずしも自分のプラン通りにいくわけではない

こういった諸要素をディテールと呼ぶ。残念ながら、ディテールはコントロールできるわけではない

だからこそ、自分でコントロール可能な範囲、つまり普段の練習により自らの理論を身体に染み込ませておくことが重要なのである

閑話休題終わり

そして、さらに身体の移動方向だけでなく、移動方法にも四種類がある。一方向につき四種類の移動方法。つまり、4×4の16種類の移動方法があることになる

ここでは、右前方への移動方法を考えていってみよう

その前に先ずは、身体というものを便宜上、右半身と左半身の二つに割ることにする。もちろん身体全体を移動させることを意識したほうがいいのだが、初心者に説明する場合はこうしたほうがわかりやすい

一番簡単にイメージできるのは、右半身から斜め下に倒れていく方法だと思う。右方向なのだから右半身から倒れこんでいくのはイメージしやすいはず。このとき、左半身はやや浮き上がっている。沈むところがあれば浮くところもあるという浮き沈みの法則がここでももちろん適用される

しかし、これだけでは戦術的な幅が生まれにくい。左半身を右側に倒れこませる方法も覚えよう。このときは右半身がやや浮き上がった状態となる

さらに、浮き沈みがあるということは浮きで上半身を移動させる方法もあるということになる。つまり右半身を浮き上がらせる方法と左半身を浮き上がらせる方法の二つだ。この二つの場合、馴れないうちは身体を沈みこませる移動方法よりもやや難しい。とくに、浮き上がる側とは反対側の半身を沈みこませる感覚が甘くなってしまった結果、ただ単に浮き上がらせるだけになってしまい身体のバランスを崩しがちになる。慣れないうちは注意が必要だ。当然、力ずくでの移動もこれまでのフィジカル・グラフィティの紹介通りNGである

この前方へ移動する防御の動きの場合は、移動した後の姿勢からパンチを打つことも可能である。というよりも、動いたことにより新たな角度が生まれるので、攻撃手段としてはとても有効である。例えば右前方へ右半身から沈みこんでいった場合は下方向からの打ち上げる形のパンチが有効である。あるいは、左半身を右前方へ浮き上がらせるパターンの場合、浮き上がった状態からの打ち下ろしのパンチなどは有効であろう

ボクサーのなかには、防御のためというよりもむしろ攻撃の手段としてこの動きを使うものもいる

それにたいし後方へ反らす防御は、より本来の防御の意味に近いディフェンシブな動きであるといえるだろう。しかし、弱点もある。相手と距離が離れてしまうために、直ぐ様攻撃に移れないことだ

そして何よりも後方へ反らすという姿勢自体が相手に対しネガティブな印象を与えてしまうために、つけこまれて攻撃を受けやすい。そんなときには、いさぎよく相手を近距離の間合いに入れてしまってもいいかもしれない。カウンターの餌食にするのもご一興かと

そしてこの防御の練習とは、動きの取得というだけでなく、副作用的に身体の認識のレベルアップにも役立つ。認識とはつまりこういうことである。人間が二本の足で立っている姿勢の不安定さについては、今まで書いてきた。その不安定さを克服するために、普通のスポーツでは走り込みをして足腰を鍛える。しかし、フィジカル・グラフィティにおいては身体の真ん中を貫く正中線を主軸として考える。つまり、単純な足腰の強さは必要ないのだ。そこで、この防御の練習である。この動きは実際に試してみればわかるが、一見正中線が崩れそうになる動きである。しかし、身体を斜めに動かすことは確かだが、お腹から頭を貫く一本の線は必ず真っ直ぐにしておくというのが絶対条件である。この練習を重ねていくと、真っ直ぐでありながらも融通無碍に動く汎用性のある正中線が意識できてくる

またバランス感覚を養うことも出来る。いちいち、防御の動きをする度にバランスを崩してしまっていては呼吸も乱れ、スタミナのロスにもなるし、何よりも相手につけ入る隙を与えてしまうことになる。バランス感覚を養う意味で、練習では大袈裟なぐらいに大きく身体を動かすのも効果的だろう

そして、この防御の動きで最難関なのは、後ろに反らす防御の中の一つ、左半身を右後方に反らす動作、あるいは右半身を左後方へ反らす動作である。つまり、半身を後ろ逆方向にもっていく動作。同じ後方へ反らす動作にしても右半身を右後方へ反らす動作のほうが浮きを使うにしろ沈みを使うにしろはるかに簡単だし、反らせる稼働域にしても大きい

これは、あくまでも現時点での僕のレベルでしか言えないことだが、半身を後ろ逆方向にもっていく動作は実践的ではないと言わざるをえない。しかし、練習には必ずこの動作も取り入れている

何故かというと、さっき言ったようにこれがあくまでも現時点での自分のレベルでは実践的ではないということにすぎないかもしれないということが一つ。 つまりレベルが上がれば――スピードや正確性が上がり、なおかつ稼働域が広がれば、――とても有効な動きになるかもしれないからだ

そして、もう一つ。色々な動きを覚えたほうが、明らかに身体のポテンシャルが上がるからだ。練習とは、実際の動作のレベルを上げるということ以外にも、身体を創るという側面もあることを忘れてはならない

そして、細かな注意点としてはこの防御の動きの最中の腕の位置である。これも、自然な動きを尊重することになる

右半身を右前方に沈みこませる動きを例にする。右手は沈みこませて、そのままボディのガードに使う。このときに浮き上がっている左手は、顔面のガードに使うという形になる。つまり、右半身を沈みこませるときは同時に右手も沈みこませて、左半身を浮き上がらせるときには、左手も浮き上がらせることになる

この動きが一番ナチュラルであり、また疲れない。これは練習していけば自動的に出来る動きです

閑話休題

いい機会なので、身体がオートマチックに動くプロセスについて説明します。人間は無意識のうちに、疲れにくい動きのほうを覚えていくものです。フィジカル・グラフィティにおいては、常に合理的な動きを求めているので、本来簡単に覚えてしまうものです。覚えにくい動きやあまり気が進まない動きがあるとしたら、それはどこか無理をしている動きである。その無理を、無理強いするのではなく、無理の原因となっている自分の動きの不自然さを解消していくのが、練習中に心掛けることになる

閑話休題終わり

そして防御の中にはしゃがむ動きというものもある。この場合、その場で真っ直ぐにしゃがむということはしないほうがいい。フィジカル・グラフィティの基本は、浮き沈みを応用したものだが、真っ直ぐにしゃがんではそれを使えない。そして、戦術的にも相手にたいする二択も使えなくなる

身体は必ず斜めに動かす。「限りなく真っ直ぐに近い斜め」は良い

簡単に言ってしまえば、身体の半身から沈ませるということだ。そして当たり前のことだが、元の位置に戻す場合は浮きの力を使い、同じく身体の半身からとなる

この時のポイントとしては、あくまでも浮き沈みの力を使うのであって、足腰の強さに依存した動きではないということだ。足腰の力に頼っていては、疲れるだけでなく、地面を踏みしめるぶんワンテンポ遅れてしまう。そして、加齢により弱まっていく膝のバネが耐えきれるのかも疑問だ。やはり、しゃがむ動作もそこから元の姿勢にリバースする動作も身体を疲れさせない動作にしたほうが有効である

このことは、またスポーツの練習にたいするアンチテーゼとなるであろう。つまり、疲れることに自己満足する段階ではまだまだ甘いと言わざるをえない

そして、このしゃがんだ状態とは、防御のための動きという以上に構えという意味でも大事である。いわゆる「クラウチングスタイル
という構えである

この構えのメリットは見た通りしゃがんだ状態になるわけだから、相手の下からの突き上げを心配することなく自分だけが下からのパンチを打ち込むことが出来る。当然、この時はボディへの攻撃を警戒する必要はないから、顔面の防御のために両手を使えることになる

当然メリットがあればデメリットもある。下からの攻撃のバリエーションには事欠かないが、上からの攻撃ができなくなることだ。これは、構造上付き合っていかなければならない問題だ

そして、姿勢維持のために疲れやすいことと、立ち上がった姿勢に比べたらスピードが落ちるという二つがある

この二つに関しては、練習によりある程度は克服できる。というより普段使えてない身体の使い方を学ぶという意味での効果も期待できる。あえて使いづらい姿勢にすることにより、その使いづらい身体をどうやって無駄なく合理的に使用すればよいのか、葛藤するなかから高いレベルの身体意識が生まれる

そして、この防御の動きから会得してほしい身体意識が、お腹を中心として身体全体を動かす技術だ。もちろん、防御の動き以外でもお腹の意識を創りあげることは可能だが。防御の場合はとくに創りやすい

何故かというと、身体をふるようなトレーニングの場合、いやがおうにも上半身と下半身のつなぎ目としてのお腹を意識せざるをえない

クラウチングスタイルのような重心の低い構えはなおさらである。低い姿勢を足の力に頼ることなく維持するためには、お腹の力が必要不可欠だ

ここで注意が必要。ここでいう「お腹」とは、たんなる「腹筋」とは違うということである。腹筋とは文字通りお腹だけの筋肉であるが、フィジカル・グラフィティにおいて必要なのは局所的な強さではない。筋肉に自信のある者の中には腹筋の強さをアピールする者もいるが、そもそも腹筋などは身体全体の筋肉量からいえば微々たるものであり、頼りにならない

フィジカル・グラフィティでは、あくまでも身体全体を束ねる一点としてのお腹を目指す。これは、あくまでも自然だ。身体の構造をどう見ても、お腹は身体の中心だし

具体的には、お腹を意識しつつも手足の指先まで神経を行き届かせる繊細さが必要だ。単純な筋力トレーニングではこうはいかない

inserted by FC2 system