ルーティンワーク


ここまでフィジカル・グラフィティの技術を紹介してきて、他の格闘技やスポーツにはあるはずの「連続 という要素がないのに気づいた人もいるはずだ

具体的にボクシングで例えれば、左ジャブ→左ジャブ→ワンツーというようなコンビネーションのことです

まず、フィジカル・グラフィティにおいては、「流れ
よりも「瞬間
を重視している。その場その場で適切な動きを判断していく能力が大事であるということだ。もちろん流れというものはあるが、それはあくまでも瞬間が連続することにより自然と生まれる流れであり、人工的に生みだすものは文字通り不自然であり、身体に無理がかかるものだ

ここで、人工的に創りだす流れという意味でルーティン・ワークについて言及したい

ルーティン・ワークの意味は、日常に決まりきった日課や作業のことでスポーツでは二つの意味で使われる

一つは、アスリートのパフォーマンス前の動作のこと。野球のイチローがバッターボックスでやる、ピッチャーにたいして手にしたバットを立てて向ける動作や、サッカーのロベルト・カルロスがフリーキックで走り始める前に足を何度か踏みしめる動作のこと。運動力学的には意味がないのだが、人間はロボットじゃないから、たとえ不合理なことでもやりたがる生き物である。そして他人から見たら意味がない動作でも、それをやることで心身を整えているという効果があるのだろう

もう一つのルーティン・ワークの意味は、練習内容のこと。とりあえずグラウンドを何周走るとか、左ジャブを何百回打つとかいう類の決まりきった練習メニューである

フィジカル・グラフィティでのルーティン・ワークにたいする考え方を紹介したい

先ずは、パフォーマンス前のルーティン・ワークがないのはフィジカル・グラフィティの性質上当然だと思う。よくネタにされることだが、仮面ライダーが変身ポーズをとる間攻撃せずに見守っていてくれるショッカーはわりと良い奴等なんじゃないのかというように、戦闘とは一刻を争うので、技を出す前にいちいち無駄なパフォーマンスをしている暇はないと考えるのが普通だろう

もう一つのルーティン・ワークの「決まりきった練習メニュー」も、自分自身は考えたことがない。これまで紹介してきた内容と真摯に向き合ってもらえればわかるように、フィジカル・グラフィティにおいては、きわめて繊細な身体操作が要求される。回数をこなしたから身につくというわけではない

決め事をこなす必要がないことは楽チンのようにも思うだろうけど、ある意味においては非常に厳しい。どういうことかというと、その場その場で自分には今何が必要なのか判断する能力が求められるからだ。自己プロデュース能力と言ってもいい

より具体的に言えば、理想とする動き=「未来」、と現実の動き=「現在」、を行きかう行為を練習と呼ぶ。そのためには決められたことだけを律儀にこなすだけではたどり着けない境地がある

繰り返しになるが、フィジカル・グラフィティでは自分自身の判断を尊ぶという原則は変わらない

しかし、練習においてはときにルーティン・ワークも悪くないのかもしれない。人間というものが生き物である以上、ときには心身ともに疲れはて、適切な判断をくだせないこともあるからだ。それでも毎日の練習はするべきだ。練習のなかから見つけるものや、磨かれる勘もある

そしてなにより人間とは自由を求めつつも、同時に自分を縛ってくれるような規律を求めるような欲張りな生き物である。これを重力の法則と呼ぶ。重力から自由になりたがりつつ――空を飛ぶことを夢想しつつ――も無重力では身体が安定しないものだ

繰り返すが、とりあえずやっておく練習というものがあってもいい。「とりあえず」という言葉は「いい加減」というニュアンスがあり、大人が使うことは本来歓迎されない言葉だ。しかし、僕は人間という生き物を知っている。人間は数少ない希少例を除き、弱くてだらしないのが本質だ。そのことを素直に認めるのも悪くない。つまり、何もやりたくないけど、とりあえずやる練習というものも認めるべきだ。フィジカル・グラフィティは弱い人間も好む

inserted by FC2 system